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'''数珠丸'''(じゅずまる)は[[日本]]の[[重要文化財]]に指定されている[[日本刀]]である。[[天下五剣]]の一つに数えられている日本刀の[[名物]]の一つ。現在は[[兵庫県]][[尼崎市]]の[[本興寺_(尼崎市)|本興寺]]が所蔵している。[[青江恒次]]の作とされる(日本刀鑑定の権威である[[佐藤寒山]]は、「青江恒次の作ではなく、[[備前恒次]]の作ではないか」としている)
 
==概要==
[[日蓮]]が所持していたと言われており、その際、柄に[[数珠]]を掛けていたことからこの名が付いたとされる。日蓮没後は他の遺品とともに身延山[[久遠寺]]に保管されていたが、[[享保]]年間に行方不明となった。
刃長81.1cm<ref>展示資料の説明には 84cm とある</ref>、反り3.0cm。太刀銘で『恒次』の銘が切られており、[[平安時代]]の刀工、[[青江恒次]]の作とされる<ref>日本刀鑑定の権威である[[佐藤寒山]]は、「青江恒次の作ではなく、[[備前恒次]]の作ではないか」としている</ref>。
 
==伝来==
[[1920年]]ごろ、[[宮内省#内閣制度以降(1885年-1947年)|宮内省]]刀剣御用掛の杉原祥造が再発見した。杉原の主張によると、ある華族の所蔵品の競売にかけられた物件の中から発見したとされる。杉原は久遠寺に返納しようとしたが交渉がまとまらず、杉原邸の近所にあった本興寺に寄進され、現在に至る。
[[日蓮]]が所持していたと言わておりる太刀でその際日蓮が[[身延山|甲州身延山]]へ入山したとき、護身用として信者から贈られたと伝えられ、柄に[[数珠]]を掛けていたことからこの名が付いたとされる。日蓮没後は他の遺品とともに身延山[[久遠寺]]に保管されていたが、[[享保]]年間に行方不明となった。
 
[[1920年]]ごろ、[[宮内省#内閣制度以降(1885年-1947年)|宮内省]]刀剣御用掛の杉原祥造が再発見した。杉原の主張によると、ある華族の所蔵品の競売にかけられた物件の中から発見したとされる。杉原は久遠寺に返納しようとしたが交渉がまとまらず、杉原邸の近所にあったる[[兵庫県]][[尼崎市]]の[[本興寺_(尼崎市)|本興寺]]に寄進され、現在に至も本興寺が所蔵している。
== 関連項目 ==
 
==脚注==
{{reflist}}
 
== 関連項目 ==
*[[有名な日本刀の一覧]]
 
== 参考文献 ==
*[[牧秀彦]] 『名刀伝』 新紀元社 [[2002年]] ISBN 4-7753-0083-0。
 
==外部リンク==
*[http://homepage2.nifty.com/honkoujipriv/ 本興寺]
*[http://www.city.amagasaki.hyogo.jp/bunkazai/sitei/honkouji-juzumaru/honkouji-juzumaru.html 尼崎市OHP 尼崎の指定文化財 本興寺 太刀銘恒次]
 
 
[[Category:日本刀|しゆすまる]]