「川中島バス」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
コモンズに専用カテゴリー新設
145行目:
[[長野オリンピック]]を目前にした[[1997年]][[10月1日]]、[[長野新幹線]]の開業と同時に、長野から白馬・大町を結ぶ特急バスの運行を開始した。これは、[[白馬長野有料道路]]の開通や一般道路の改修などが行なわれたことを機に<ref name="80-35">『川中島バス80年史 -善光寺平を駆けぬけて-』p35</ref>、1995年から季節運行が行なわれていたものである。
 
それまで、東京から白馬・大町へは[[中央本線]]と[[大糸線]]を利用するのが常識であった。しかし、長野と白馬・大町が所要1時間程度で結ばれるようになると、乗り換え時間を含めなければ東京からわずか3時間以内で白馬・大町に到達できるようになり<ref name="80-35"/>、大糸線沿線の交通流動を一変させるものとなった<ref name="80-35"/>。長野オリンピックが終了する頃には、新幹線利用で長野を経由するルートが東京から白馬・大町地区へのメインルートとなりつつあった<ref name="80-35"/>。
 
長野オリンピックでの輸送は、川中島バスが中心となってあたることになった<ref name="80-56">『川中島バス80年史 -善光寺平を駆けぬけて-』p56</ref>。期間中は延べ16000台にも及ぶ大規模な輸送<ref name="80-56"/>が行なわれることになったが、グループ内や長野県内の同業他社からの支援、さらに[[ジェイアールバス東北]]と[[西日本ジェイアールバス]]から乗務員の臨時派遣を受ける<ref name="80-56"/>ことで、必要な輸送を完遂した。さらに、[[長野パラリンピック]]の選手輸送においては、[[都営バス|東京都交通局]]から運行開始前の[[ノンステップバス]]を借り受け、都営バス色のままで川中島バス・長野電鉄・松本電鉄の3社により運行した<ref name="80-56"/>。
 
[[2000年]]、アルピコグループでは貸切バス事業の効率化と営業力強化のため、アルピコハイランドバスを設立した。これにより、アルピコグループの貸切バス事業は、川中島バスに一部の貸切バスが残された<ref name="80-39">『川中島バス80年史 -善光寺平を駆けぬけて-』p39</ref>以外は、全ての貸切バスが同社に集約されることになった<ref name="80-38"/>。[[2001年]]1月には長野市周辺のバスにおいて、長野電鉄との業務提携を発表した<ref name="80-38"/>。これはIC乗車カード導入などの将来的な事業において、共同歩調をとることを確認したものである<ref name="80-38"/>。