「平島義寛」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
1行目:
'''平島義寛'''(ひらしまよしひろ・[[寛政]]9年([[1797年]])-没年不詳)は[[江戸時代]]の[[阿波国]][[徳島藩]]藩士。[[幼名]]は利丸。[[通称]]は左衛門。父は[[平島公方]][[足利義根]]。母は[[半家]][[公家]]の西洞院風月入道の養女(実は貝塚氏)。弟は[[足利義俊]]。妻は不詳。子は芳丸。
 
平島にて出生するが、父は京都の文人と交流が多く何かと物入りのために、[[文化 (元号)|文化]]2年([[1805年]])に[[藩主]][[蜂須賀治昭]]に加増願いを出したが断られたために父は京都に移り、足利氏に復したが、「[[系図纂要]]」では義寛については父と同行したかについては触れられず。なお「系図纂要」では本人及び子の没年は触れられていない上元服前の子息も存在。このため「系図纂要」作成時には生存してた可能性がある。しかしながら、平島公方とし数えらは触れていない。
 
== 参考文献 ==