「フーガの技法」の版間の差分

初版曲集が未完成となったことについては、上記のほかにも研究者によって様々な説が出された。本当はもっと早くに完成していたが譜面が紛失したという説や、未完成のフーガはフーガの技法に含まれず、他の曲をもって曲集は完成していたという説もある。さらには、バッハのチェンバロ曲の多くが3の倍数組で構成されている事から、最初に完成した12曲の後に、もう一組の12曲を完成させる意向であったという推測もなされている。長年、これらの説を裏付けるような楽譜や資料は発見されていなかったが、近年の研究では、バッハがこの作品の出版について問い合わせた文献が残っており、少なくともこの作品を完成させる意図はあったこと、完成した曲はすでに校正願いを出していたこと、そして恐らく絶筆ではなかったことが指摘されている。
 
図らずも未完となってしまった曲集はバッハの意思を汲み出版されたが、わずか30部足らずほどしか売れず、同時代の評判はあって無きが如しであった。とはいえ一部の愛好家には次第に受け入れられ、17001800年代以降の筆写譜が少なからず残されており、さらに1838年には[[カール・ツェルニー|ツェルニー]]校訂によるピアノ譜が出版された。この曲集が演奏家にクローズアップされるようになったのは、19世紀後半以降に[[カミーユ・サン=サーンス|サン=サーンス]]などの優れたピアニストがピアノで演奏することが広まってからであった。ちなみに、[[ゴルトベルク変奏曲]]の名演奏で知られる[[グレン・グールド]]が演奏した未完成のフーガは、[[カール・ツェルニー|ツェルニー]]校訂版によるものである。
 
== 原典 ==
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