「ジェームズ・ストックデール」の版間の差分

m
1965年9月9日、[[北ベトナム]]への軍事作戦中に、搭乗していた[[A-4|A-4Eスカイホーク]]が低空飛行中に対空火器によって無力化され、ストックデール(42歳)は操縦席から放出された。パラシュートで小さな村へ降下したが、そこで激しく打たれ、捕虜となった。
 
そのあと1973年まで、「[[ハノイ・ヒルトン]]」と呼ばれた[[捕虜収容所]]でストックデールは戦争[[捕虜]]として扱われた。足にの鎖を付けられ、ストックデールは日常的に打たれ、20回以上の拷問(15回という記述もある)を受けた。北ベトナム兵が、彼は公衆の前でパレードすることになるだろうと言うと、ストックデールはカミソリで自ら頭皮を切り付け、わざと外観を醜くした。そのため北ベトナム兵は、ストックデールをプロパガンダの目的で使用することができなくなった。北ベトナム兵が、帽子で頭の傷を隠そうとすると、ストックデールは自らイスに顔を打ち付け、誰だか分からないほどに腫れさせた。ストックデールは、北ベトナム兵達に対して、はっきりと彼を利用することはできないと述べたわけである。他の囚人が拷問のために死んだということを聞くと、ストックデールは自らの手首を切りつけて、服従するよりは死を選ぶと言った。
 
ストックデールは、[[ジョージ・トーマス・コーカー]]ら、他の捕虜とともに、「アルカトラズ・ギャング」と呼ばれた11名の捕虜のひとりであった。彼らは、捕虜の中で北ベトナム兵への抵抗において指導的な立場にあったため、その他の捕虜たちから隔離され、独房に収容された。[http://community.seattletimes.nwsource.com/archive/?date=19920331&slug=1483968]
17

回編集