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荀爽の死は後漢書、後漢紀の献帝紀によると共に初平元年五月
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何進が殺され、[[董卓]]により[[献帝 (漢)|献帝]]が擁立されると荀爽は董卓から離れたいと思ったが叶わず、平原郡の[[相]](次官)とされた。荀爽が任地へと向かう途中、[[光禄勲]]とされ、更に[[司空]]とされた。95日の間の出来事である。
 
司空になった荀爽は[[長安]]へと帰り、董卓の傍にいるようになった。しかし董卓を放置すれば後漢が危うくなると考えて[[王允]]・[[何ギョウ|何顒]]と共に謀を練っていたが、病気のため死去した。享年63。
 
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