「アグスティン・ファラブンド・マルティ」の版間の差分

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大地主層出身だが、自治大学の学生時代から活動を開始し1928年に共産党に入党する。また、[[ニカラグア]]の[[アウグスト・セサル・サンディーノ]]が率いるニカラグア民族主権防衛軍に参加して[[アメリカ海兵隊]]と戦ったが、サンディーノが民族主義者であることに気付き、意見の相違により袂を分かつと帰国した。しかしそれでも、共産主義と民族主義という相容れない関係ではあったものの、後年マルティはサンディーノのことを偉大な革命家と絶賛している。
帰国後[[エルサルバドル共産党]]を設立し、独裁者[[マクシミリアーノ・エルナンデス・マルティネス]]に対する蜂起を企てていたところを治安機関に察知され、逮捕された。逮捕後農民達は蜂起したが、指導者を失った農民は軍によって虐された。マルティも同志と共に処刑された。
 
しかし、彼の遺志は[[ファラブンド・マルティ民族解放戦線]]([[w:Farabundo Martí National Liberation Front|FMLN]])に引き継がれ、ニカラグアの[[サンディニスタ民族解放戦線]](FSLN)が[[ソモサ王朝]]の独裁体制を破り、ニカラグアに自由を勝ち取ると、[[1980年]]にエル・サルバドルの[[極右]]政権に抵抗して反乱を起こした。結局革命は成功しなかったものの、長く苦しい[[エルサルバドル内戦]]の終結後、彼らはエル・サルバドルに[[民主主義]]を勝ち取った。