「夏目漱石」の版間の差分

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{{Infobox 作家
| name = 夏目漱石
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[[ファイル:Natsume Soseki house Clapham.jpg|200px|thumb|ロンドン滞在時の夏目漱石の最後の家]]
明治29年([[1896年]])、熊本市の[[第五高等学校 (旧制)|第五高等学校]]([[熊本大学]]の前身)の英語教師に赴任後、親族の勧めもあり貴族院書記官長[[中根重一]]の長女[[夏目鏡子|鏡子]]と結婚をするが、3年目に鏡子は慣れない環境と流産のため[[ヒステリー]]症が激しくなり[[白川 (熊本県)|白川]]井川淵に投身を図るなど順風満帆な夫婦生活とはいかなかった。家庭面以外では、この頃漱石は俳壇でも活躍し、名声を確保していく。
 
明治33年([[1900年]])5月、[[文部省]]より英文学研究のため[[イギリス|英国]][[留学]]を命ぜられる。[[ジョージ・メレディス|メレディス]]や[[チャールズ・ディケンズ|ディケンズ]]をよく読みあさった。『永日小品』にも出てくるシェイクスピア研究家の[[ウィリアム・クレイグ]]の個人教授を受けたり、『文学論』の研究にいそしんだりするが、英文学研究への違和感がぶりかえし神経衰弱に陥り始める。また東洋人であることでいわれなき[[人種差別]]を受け傷心し、研究が進まない苛立ちも重なったのか、何度も下宿を転々とする。このロンドンでの滞在中に、ロンドン塔を訪れた際の随筆『倫敦塔』が書かれている。