「一色義定」の版間の差分

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義定の殺害と同時に、城内に入っていた家臣も皆殺しにされ、城下に控えていた雑兵100人も、[[松井康之]]、米田求政率いる軍勢に討ち取られ、その勢いで弓木城も降伏させられた。なお、妻の伊也は降伏した際に、細川家に戻った。
 
この一色氏の滅亡により、この後は[[丹後]]国|丹後全域]]を細川家が支配することとなった。
 
没した日について、『一色軍記』においては本能寺の変以前の2月に義俊(義定)が殺害されたことになっているが、『丹州三家物語』においては9月に殺害されたとしており、上宮津盛林寺に存在する「一色満信」の位牌においても9月8日と記されている。
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