「水道哲学」の版間の差分

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松下の水道哲学は彼の営んだ電機事業に限らず、[[日本]]が近代化の過程で物的に豊かになっていく将来動向を見越した卓見であったと言えよう。
 
== 発想の端緒 ==
昭和7年秋、取引関係者と共に[[天理教]]本部を訪れることがあり、信者達の奉仕活動等に大きな感銘を受けたことがきっかけとなり、この経営哲学を発想したと言われている。松下は言及していないが、当時を知る関係者の話が雑誌の取材で明らかになっている。{{ref | 第一回創業記念式社主告示}}
 
 
== 関連項目外部リンク ==
1. {{note | 第一回創業記念式社主告示}}[http://ascii.jp/elem/000/000/185/185587/index-2.html 「あれから76年、パナソニックには特別な中央電気倶楽部の意味」(Ascii.jp)]
* [[天理教]] 昭和7年秋、取引関係者と共に天理教本部を訪れ、信者達の奉仕活動等に非常に強い衝撃からこの経営哲学を発想したと言われている。[http://ascii.jp/elem/000/000/185/185587/index-2.html 中央電気倶楽部における発言の経緯の解説]。ただし、幸之助本人は信者ではないので、この哲学の経緯の発言で天理教の名はあえてふせているが、当時を知る関係者などの証言などが雑誌等の取材で明らかになっている。
 
{{DEFAULTSORT:すいとうてつかく}}