「鞍馬天狗横浜に現る」の版間の差分

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伊藤は、ロケ地の[[岡山県]][[玉野市]]の造船所で、嵐寛寿郎に300メートル疾走しながらの乱闘をワンカットで撮る[[シークエンス]]を設けた。伊藤自身、寛寿郎の美しい[[殺陣]]を買っていたが「完成されすぎたうらみもあります。そこへいま一つ破調のリズムを、“戟”の波紋を投ずるべき」(竹中労『聞き書きアラカン一代 鞍馬天狗のおじさんは』1976年11月 白川書院)という狙いがあった。
 
全力疾走でしかも刀を振り回して立ち回りには、さすがの寛寿郎も、「センセイ、これちょっと無理やと思いまっけどな。」と断ったが、伊藤は「ああ。そうですか。あなたには無理ですか。」と突っぱね、逆に寛寿郎を発奮させて、このシーンを撮った。試写を見た伊藤は、300メートル走りながら左右に敵を切り捨てる寛寿郎の裾が一糸も乱れていないのに感心し「あれほどの大移動で、裾が乱れておりません。きちっとさばいているのです。アラカン、このひともわざおぎです。」と賛辞を送った。寛寿郎も「すごい迫力や。走れるものやなあと我ながら感激してしもた。イドウダイスキ([[移動撮影]]を得意とした伊藤監督のもじり)とはよういうた。なるほどと納得した。」と述べている。(前述 竹中労 著作より)残念がら、戦後[[進駐軍]]の検閲によりこのシーンは削除されて見ることは出来ない。
 
戦後「鞍馬天狗・黄金地獄」と改題されてリバイバル上映された。