「エレア派」の版間の差分

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'''エレア派'''は南[[イタリア]]([[マグナ・グラエキア]])の[[バジリカータ州|ルカニア]]のギリシア植民地エレア(現在の[[サレルノ県]]の[[アシェーア|ヴェリア]] Velia)における、前ソクラテス期の哲学の学派である。[[パルメニデス]]によって紀元前5世紀の初期に創立された。この学派に属するのは、他に、エレアの[[ゼノン (エレア派)|ゼノン]]、[[サモス島|サモス]]のメリッソスがいる。[[クセノパネス]]も、しばしば異論があるとはいえ、このリストに加えられることがある。
 
== 歴史 ==
 
この学派は、その主要な代表者であるパルメニデスとゼノンの居住地である[[南イタリア]]のギリシア都市エレアにその名を負っている。その基礎はしばしばコロポンのクセノパネスに帰せられるが、後代のエレア派の教説には彼の思想に拠っている部分がかなりあるとはいえ、やはりこの学派の創始者はパルメニデスと看做すほうがより正しいだろう。
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クセノパネスは紀元前六世紀の半ばに初期ギリシアの神話への最初の攻撃を行った。そこには[[ホメロス]]と[[ヘシオドス]]の詩によって神聖化された擬人的な体系への攻撃が含まれた。パルメニデスの手によって、この自由思想の精神は、[[形而上学]]的な方向で発展した。しかし、その後、そうした思想がエレアの当時の通念に反していたからか、または、方向性の過ちのためか、議論は、運動の可能性などの言葉の上での論争に変質した。この派の最良の成果は[[プラトン]]の形而上学によって取り入れられた。
 
== 哲学 ==
 
エレア派は感覚的な経験の認識論的な妥当性を拒絶した。その代わりに、数学的な明快さと必然性を、真実性の基準とみなした。そのメンバーであるパルメニデスとメリッソスは疑い得ない強固な前提の上に議論を構築した。ゼノンはそれに対し、主として背理法を採用し、相手の前提が矛盾に導かれることを示すことで、その議論を破壊しようと試みた。
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[[es:Escuela eleática]]
[[et:Elea koolkond]]
[[eu:Eskola eleatikoa]]
[[fi:Elealaiset]]
[[fr:École éléatique]]