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{{日本の寺院|
|名称 = 真宗大谷派 名古屋別院|
|画像 = [[Image:Higashi-Honganji Nagoya Betsuin (Main Hall).jpg|260px]]<br />本堂|
|所在地 = 愛知県名古屋市中区橘2-8-55|
|位置 = {{ウィキ座標2段度分秒|35|9|8.09|N|136|54|7.05|E|scale:20000}}|
|山号 = |
| = [[浄土真宗大谷派]]|
本尊|宗派 = [[阿弥陀如来真宗大谷派]]|
|寺格 = [[真宗大谷派#別院]]
創建年 = [[1690年]]([[元禄]]3年)|
開基|本尊 = [[一如 (僧)|一阿弥陀]]|
|創建年 = [[1690年]]([[元禄]]3年)
別名 = |
|開基 = [[一如 (僧)|一如]]
別称 = 東別院、東御坊|
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|別称 = (名古屋)東別院、東御坊
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|公式HP = http://www.ohigashi.net/
|公式HP名 = お東ネット
}}
'''真宗大谷派名古屋別院'''(しんしゅうおおたにはなごやべついん)は、[[1690年]]([[元禄]]3年)に[[尾張藩]]に開かれた[[愛知県]][[名古屋市]][[中区 (名古屋市)|中区]]にある[[真宗大谷派]]の[[寺院]]である。同派の[[真宗大谷派#別院|別院]]。開基は第16代門主・[[一如 (僧)|東本願寺第十六代法主 一如]]<ref>東本願寺…正式には「本願寺」一般には通称である「東本願寺」して呼称するので、'''東本願寺第十六代法主」と表記。</ref>。通称は、「'''東別院'''」、「'''東御坊'''」、「'''名古屋別院'''(ひがしほんがんじなごやべついん)」、「'''東本願寺名古屋別院'''(ひがしべついん)とも呼ばれている
 
== 沿革 ==
[[元禄]]3年(1690年)、[[尾張藩]]第2代藩主・[[徳川光友]]より[[織田信秀]]の居城・[[古渡城]]の跡地約1万坪の寄進を受けて建立された。尾張の6つの寺が、この地に布教の拠点を置くことを本山に願い出たが、当初は他の寺から猛反対を受けた。
 
[[1805年]]([[文化 (元号)|文化]]2年(1805年)、五代惣兵衛が本堂を再建した。惣兵衛はこのためだけに真宗へ改宗し、さらに本山である[[真宗本廟|東本願寺]]に多額の寄進をしたことにより、使用する材木の調達を一手に請負うことに成功。
 
18年後の[[1823年]]([[文政]]6年(1823年)、新たな本堂が竣工した。この年、本山の御影堂と阿弥陀堂が焼失。緊急の措置として、別院(当時の呼称は「名古屋御坊」)の古御堂が東本願寺の本堂とされた。
 
明治期には、愛知県庁や愛知県議会の機能が同地に設置された。また、[[1874年]]([[明治]]7年)5月1日から6月10日にかけて開催された、「名古屋博覧会」の会場としても使用された。同博覧会では[[名古屋城]]の[[金鯱]]や地元の名産が展示され、好評につき、当初5月31日までの予定であった会期は10日延長された。
 
[[明治]]7年(1874年)5月1日から6月10日にかけて開催された、「名古屋博覧会」の会場としても使用された。同博覧会では[[名古屋城]]の[[金鯱]]や地元の名産が展示され、好評につき、当初5月31日までの予定であった会期は10日延長された。
[[1945年]]([[昭和]]20年)3月12日、[[名古屋大空襲]]の被害を受け、本堂をはじめ、ほとんどの施設が焼失した。現在の本堂は、戦後再建されたものである。
 
[[昭和]]20年(1945年)3月12日、[[名古屋大空襲]]の被害を受け、本堂をはじめ、ほとんどの施設が焼失した。現在の本堂は、戦後再建されたものである。
 
== 施設・旧跡 ==
[[Image:Higashi-Honganji Nagoya Betsuin (Main Gate).jpg|thumb|190px|right|山門]]
[[Image:Higashi-Honganji Nagoya Betsuin (Main Audience Hall).jpg|thumb|190px|right|対面所]]
* ;山門
:宝暦7年(1757年)建立。
: 1757年(宝暦7年)建立。現存の山門は1968年(昭和43年)に再建された。[[釈迦如来]]像(中央)、[[弥勒菩薩]]像(向かって右)、阿難尊者像(向かって左)を安置。
:現在の山門は、昭和43年(1968年)に再建された。[[釈迦如来]]像(中央)、[[弥勒菩薩]]像(向かって右)、阿難尊者像(向かって左)を安置。
* 本堂 - 1702年(元禄15年)竣工。現存の本堂は1966年(昭和41年)の再建。
;本堂
* 対面所
:元禄15年(1702年)竣工。
: 毎月5日(1月のみ10日) - 28日まで、名古屋教区内外の布教使による法話が行われる。1階に名古屋別院総務部・財務部を置く。
:現在の本堂は、昭和41年(1966年)の再建。
* 名古屋教務所 - 教区会、門徒会、院議会などを開催する。各種講座の会場としても用いる。
;対面所
* 教化センター - 仏教図書館。真宗・仏教関連書籍や視聴覚教材の閲覧、貸し出しを行う。
:毎月5日(1月のみ10日)〜28日まで、名古屋教区内外の布教使による法話が行われる。1階に名古屋別院総務部・財務部を置く。
* 納骨堂 - 信徒の遺骨を納める。毎年7月15日、納骨法要が行われる。
;名古屋教務所
* 鐘楼 - [[名古屋市]]の指定文化財。1692年(元禄5年)鋳造。総高177.5cm、口径108cm。
:教区会、門徒会、院議会などを開催する。各種講座の会場としても用いる。
* 豊本説教場跡
;教化センター
: 現在の名古屋市[[中区 (名古屋市)|中区]]栄に設置されていた別院の説教場の碑。[[名古屋高速道路]]建設工事の際に出土し、境内に移設。1893年(明治26年)建立。
:仏教図書館。真宗・仏教関連書籍や視聴覚教材の閲覧、貸し出しを行う。
* 明治天皇行在所旧址碑 - [[明治天皇]]が行幸した際、別院が行在所として使用されたことを記念して建立。
;納骨堂
* 明治天皇名古屋大本営碑 - 1934年(昭和9年)6月1日建立。1890年(明治23年)に陸軍・海軍合同の[[軍事演習]]を名古屋で行った際、この地に[[大本営]]を設置したことを記念。[[史蹟名勝天然紀念物保存法]]に基づき、1933年(昭和8年)11月2日に[[史跡|史蹟]]として[[文部大臣]]の指定を受けた。
:信徒の遺骨を納める。毎年7月15日、納骨法要が行われる。
* [[住田智見]]講師句碑
;鐘楼
: 1967年、住田智見の生誕100年を記念して建立。[[伊豆山神社|伊豆山権現]]参拝の折に詠んだ[[俳句|句]]「白毫の 光尊し 夜半・秋」を刻む。
:[[名古屋市]]の指定文化財。元禄5年(1692年)鋳造。総高177.5cm、口径108cm。
: 住田智見は、1868年(明治元年)に祐誓寺(名古屋市[[熱田区]])で生誕。[[大谷大学]]を卒業後、[[大谷大学#概要|真宗大学]]教授、大谷大学学長を歴任した。また、真宗専門学校(現[[同朋大学]])を創設した。1938年(昭和13年)死去。
;豊本説教場跡
* 古渡城址碑
:現在の名古屋市[[中区 (名古屋市)|中区]]栄に設置されていた別院の説教場の碑。[[名古屋高速道路]]建設工事の際に出土し、境内に移設。明治26年(1893年)建立。
: 前述の通り、境内地は古渡城の跡地と伝えられる。[[織田信秀]]は[[那古野城]]を息子[[織田信長|信長]]に譲り、自らは古渡城を居城とした。1546年(天文15年)、信長はこの城で[[元服]]したといわれる。1548年(天文17年)に廃城。
;明治天皇行在所旧址碑
:[[明治天皇]]が行幸した際に、別院が行在所として使用されたことを記念して建立。
;明治天皇名古屋大本営碑
:昭和9年(1934年)6月1日建立。
:明治23年(1890年)に陸軍・海軍合同の[[軍事演習]]を名古屋で行った際、この地に[[大本営]]を設置したことを記念。
:昭和8年(1933年)11月2日に、[[史蹟名勝天然紀念物保存法]]に基づき、[[史跡|史蹟]]として[[文部大臣]]の指定を受けた。
;[[住田智見]]講師句碑
:昭和42年(1967年)、住田智見の生誕100年を記念して建立。
:[[伊豆山神社|伊豆山権現]]参拝の折に詠んだ[[俳句|句]]「白毫の 光尊し 夜半・秋」を刻む。
:: 住田智見は、明治元年(1868年)に祐誓寺(名古屋市[[熱田区]])で生誕。[[大谷大学]]を卒業後、[[大谷大学#概要|真宗大学]]教授、大谷大学学長を歴任した。また、真宗専門学校(現[[同朋大学]])を創設した。昭和13年(1938年)死去。
;古渡城址碑
:前述の通り、境内地は古渡城の跡地と伝えられる。[[織田信秀]]は[[那古野城]]を息子[[織田信長|信長]]に譲り、自らは古渡城を居城とした。天文15年(1546年)、信長はこの城で[[元服]]したといわれる。天文17年(1548年)に廃城。
 
== 年表 ==
* 1691年(元禄4年(1691年) 徳川光友、[[古渡城]]跡地を「名古屋御坊」建設地として寄進
 
* 1702年(元禄15年) 本堂竣工
* 1805元禄15(文化2(1702年) 本堂再建開始竣工
 
* 1823年(文政6年) 本堂竣工
文化2年(1805年) 本堂再建開始
* 1827年(文政10年) 「閲蔵長屋」創設(現在の学校法人尾張学園。名古屋大谷高等学校、豊田大谷高等学校などを擁する)
 
* 1871年(明治4年) 「名古屋本願寺」に改称
文政6年(1823年) 本堂竣工
* 1873年(明治6年) 「名古屋管刹」に改称
 
* 1874年(明治7年) 名古屋博覧会開催
文政10年(1827年) 「閲蔵長屋」創設(現在の学校法人尾張学園。名古屋大谷高等学校、豊田大谷高等学校などを擁する)
* 1876年(明治9年) 「名古屋別院」に改称
 
* 1878年(明治11年) 明治天皇の行在所として使用
* 1945明治4(昭和20(1871年) 名古屋空襲本願寺」より全焼改称
 
* 1962年(昭和37年) 本堂再建開始
* 1966明治6(昭和41(1873年) 本堂竣工。機関紙「名古屋御坊管刹創刊に改称
 
* 1990年(平成2年) 名古屋別院開創300年・開基一如上人300回忌勤修
明治7年(1874年) 名古屋博覧会開催
 
明治9年(1876年) 「名古屋別院」に改称
 
明治11年(1878年) 明治天皇の行在所として使用
 
昭和20年(1945年) 名古屋空襲により全焼
 
昭和37年(1962年) 本堂再建開始
 
昭和41年(1966年) 本堂竣工。機関紙「名古屋御坊」創刊
 
平成2年(1990年) 名古屋別院開創300年・開基一如上人300回忌勤修
 
== 文化財 ==
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== アクセス ==
;住所
* 住所:〒460-0016 名古屋市中区橘二丁目8番55号
:〒460-0016
* 最寄り駅:[[名古屋市営地下鉄名城線]][[東別院駅]](4番出口)
:名古屋市中区橘二丁目8番55号
;最寄り駅
:[[名古屋市営地下鉄名城線]] [[東別院駅]]下車 4番出口
 
== 脚注 ==
{{Reflist}}
 
== 関連項目 ==
{{Commons|Category:Higashi-Honganji Nagoya Betsuin}}
* [[東本願寺]]
* [[真宗大谷派札幌別院]]
* [[東本願寺神戸別院]]
 
== 外部リンク ==
* [http://www.ohigashi.net/ お東ネット 真宗大谷派(東本願寺)名古屋別院:名古屋東別院) 東別院会館 名古屋教区 教化センター]
* [http://www.fromnagoya.jp/html/idx_higashibetsuin1.html from NAGOYA - 東本願寺名古屋別院]