「エカテリーナ・ブダノワ」の版間の差分

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== 経歴 ==
 
[[スモレンスク]]州のコノプリャンカ村の農家に生まれた。[[ロシア人]]。[[モスクワ]]の航空機工場で働いていたが航空機に興味を持ちパイロットになった。[[1937年]]以降は、教官としてパイロットの育成にあたり観閲飛行などにも参加していた。
 
[[1941年]][[6月]]のソ連へのドイツ侵攻後、同年[[9月]]に女性航空連隊編成所に入隊し、第586戦闘機航空連隊([[Yak-1 (航空機)|Yak-1]])へ配属され、[[1942年]][[4月]]から戦闘に加わった。
 
1942年9月、第437航空連隊に転属し、[[スターリングラード]]上空の空中戦に参加した。[[10月6日]]、[[Ju 88 (航空機)|Ju-88]]を撃墜し、最初のスコアを上げる。[[11月]]中旬、[[メッサーシュミットBf109|Bf-109]]×2機を協同撃墜、[[He 111|He-111]]を自ら撃墜した。[[12月10日]]、Bf-109×1機を撃墜。
 
[[1943年]][[1月]]、[[リディア・リトヴァク]]と共に第8空軍の第73親衛戦闘機航空連隊へ転属。連隊長はブダノワを信頼し、彼女を僚機にした。同年[[2月23日]]、赤星勲章を授与される。[[3月]]末、[[Fw 189 (航空機)|FW-189]]を撃墜。更に3月~6月の間、ブダノワは協同撃墜2機のスコアを上げた。[[7月17日]]、Ju-88を撃墜し、間もなく一等[[祖国戦争勲章]]を授与された。
 
1943年[[7月19日]]、3機の[[フォッケウルフ Fw190]]に囲まれ、うち2機を撃墜したがブダノワ機も被弾。基地までたどり着き胴体着陸を試みるものの、ドイツ軍の爆撃により生じていた破裂孔に乗機が突っ込み彼女もろとも爆発、最期を遂げた。司令部は、彼女を[[ソ連邦英雄]]に上申したが、これは実現しなかった。この日までにブダノワは通算で266回出撃し、個人撃墜6機、協同撃墜5機のスコアを上げた。
 
[[1993年]][[10月1日]]、ブダノワにはロシア連邦英雄の称号が授与された。
 
== 顕彰 ==
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[[Category:ロシアのパイロット]]
[[Category:第二次世界大戦で戦死した人物]]
[[Category:女性パイロット]]
[[Category:女性軍人]]
[[Category:1916年生]]