「那須与一」の版間の差分

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また、没年についても、1189年(又は1190年)に没したとするのは頼朝の粛清を免れるための偽装、出家した理由は[[ハンセン病]]にかかり顔が変わってしまったため、とする伝承もある。また、那須義定によると頼朝の死後に赦免されて那須に戻った後に出家して[[浄土宗]]に帰依し、源平合戦の死者を弔う旅を30年余り続けた後、[[貞永]]元年([[1232年]])に[[中風]]のため[[摂津国]]で没したという。
 
弓の腕を上げようと過度に修行を積み過ぎた為、左右で腕の長さが変わってしまったと伝えられている。
 
== 墓所 ==
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