「アリゴ・サッキ」の版間の差分

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Point136 (会話 | 投稿記録)
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==栄光==
ミランの監督になったサッキは早速、新しい戦術理論を模索する。サッキの持ち込んだ新しい戦術とは、まず[[カルチョ]]伝統の[[カテナチオ]]を否定し、4人のDFの選手をフラットに並べる、という守備面に見ることができる。最終ラインを高く押し上げ、また前線は低めにポジション取らせ、FWであってもある程度のディフェンス、チェイシングを課した。こうして中盤をコンパクトにし、そこでプレッシングをかけてボールを奪い、高いポジションから攻めに出るというものだった。攻守両面において、非常に高い運動能力とスタミナ、献身的な精神、なによりもそれに応えることのできる選手の技量が必要だったが、彼。しかしサッキとって幸運だったのは、戦術を浸透させるための時間がありチームにはそれに応えられる[[フランコ・バレージ]]、[[パオロ・マルディーニ]]に加え、オランダ人トリオ[[フランク・ライカールト]]、[[マルコ・ファンバステン]]、[[ルート・フリット]]といったすばらジョカトーレが在籍選手達に恵まれたことであった。こうしてサッキのミランはおそらくベルルスコーニとミラニスタが期待した以上の結果を挙げてイタリア史上屈指のに残る強豪に一気に変貌をる。
サッキは就任1年目のシーズンをわずか2敗という、圧倒的な成績で見事にスクデット獲得に成功し、懐疑的な世論を黙らせたのである
そして翌年から[[UEFAチャンピオンズカップ]]を連覇。特に88-89シーズンには準決勝で[[レアル・マドリード]]に2試合合計6-1と大勝、決勝でも[[ステアウア・ブカレスト]]に4-0で完勝するなどし、サッキは名将としての地位を不動のものにした。
 
==ついにアズーリへ==