「島田魁」の版間の差分

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霧雪之介 (会話 | 投稿記録)
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[[慶応]]3年([[1867年]])11月の[[油小路事件]]では、[[服部武雄]]と戦っている。同年[[12月18日 (旧暦)|12月18日]]、[[御陵衛士]](高台寺党)残党による[[近藤勇]]襲撃では近藤の護衛として同行していた。馬上で狙撃された近藤の馬を走らせ命を救ったのは島田である。
 
慶応4年([[1868年]])[[1月3日 (旧暦)|1月3日]] [[鳥羽・伏見の戦い]]では、[[永倉新八]]らと決死隊を組織し敵陣に斬り込んだ。しかし、敵の銃撃が激しく撤退。その際に、重装備の永倉が土塀を乗り越えられないのを見ると自分の持っていた銃を差し出し、永倉に「これを掴め」と指示して島田は持ち前の怪力で永倉を土塀の上へ軽々と引き上げた逸話がある。その後、箱館まで[[戊辰戦争]]を戦い抜いた。
 
== 明治以降 ==