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'''児玉 幸多'''(こだま こうた、[[
== 経歴・人物 ==
*[[長野県]][[更級郡]]稲荷山町(現在の千曲市稲荷山)生まれ。
*[[成蹊高等学校 (旧制) |旧制成蹊高等学校]]を経て、[[
*出生地で少年期を過ごした[[稲荷山宿|稲荷山町]]は、江戸時代の[[善光寺街道]]最大の宿場町として、かつ明治期まで商都としても栄えた街で、その農村部で育つ。この地は、共に善光寺街道として知られる[[北国街道]]と[[北国西街道]]の事実上の合流点であり、善光寺街道から[[谷街道]]が分岐する交通の要衝でもあった。その影響もあって、東京帝国大学文学部国史学科の卒業論文は「近世初頭における農村の発達」であり、その後も近世の「農村」や「交通史」を研究の中心として、[[1947年]](昭和22
*日本[[近世]]史の交通史や農村史研究の分野では第一人者となり、[[日本書籍]]の中学校用歴史教科書を執筆していた。また、青少年のための「漫画日本の歴史」などの執筆や[[くずし字]]解読辞典の執筆などもしている。
*学習院大学では[[史学]]の教育・研究に尽力。戦後学習院大学が[[新制大学]]として発足する際、当初史学科を設置する予定であったが、[[連合国軍最高司令官総司令部|連合国軍総司令部]](GHQ)に「[[皇国史観]]を広める」との誤解を受けたため設置を禁止される。占領終了後から[[末松保和]]らとともに史学科の設置準備に当たり、[[1961年]]に学科が発足すると同大学政経学部から転属し、学科主任に就任した。
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