「ウラジーミル・スーズダリ大公国」の版間の差分

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}}'''ウラジーミル・スーズダリ大公国'''('''うらじーみるすーずだりたいこうこく''')は、[[キエフ大公国|ルーシ]]の公国の一つ。12世紀後半以後は大公国。現在の[[スーズダリ]]・[[モスクワ]]などを含む地域で、当時の辺境地であった北東ルーシに位置した。首府は[[ウラジーミル_ (ウラジーミル州)|ウラジーミル・ザレースキー]]。
 
== 概要 ==
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ヤロスラフ2世の子、[[アレクサンドル・ネフスキー]]は智勇に優れた名将であり、ジョチ・ウルスから[[冊封]]を受け、臣従を誓う一方で[[スウェーデン]]軍や[[ドイツ騎士団]]を破って大公国の権力・権威を拡大した。[[1263年]]、アレクサンドルが病死するとその弟に当たる[[ヤロスラフ3世]]が継いだ。[[ヤロスラフ3世]]は兄の遺志を継いで富国強兵に励み、ウラジーミル大公国は大いに発展した。[[1271年]]、ヤロスラフ3世が死んで弟のヴァーシリーが後を継いだが、[[1276年]]に嗣子無くして没し、大公の位はアレクサンドルの系統に受け継がれることになった。当初はアレクサンドルの息子[[ドミトリー・アレクサンドロヴィチ]]と[[アンドレイ・アレクサンドロヴィチ]]が争い、その後も争いが長く続く中で、アレクサンドルの末子であるモスクワ公[[ダニール・アレクサンドロヴィチ]](彼自身は大公にはならなかった)の血筋が主にモンゴルのハンから大公に任じられるようになっていく。そしてダニール公の息子[[ユーリー3世]]と[[イヴァン1世]]の時代にモスクワ大公国はロシア諸公の中でも強盛を誇る大国となったのである。ウラジーミル大公の位はモスクワ大公の位に兼任されることになったと考えていいかもしれない。
 
== 歴代大公 ==
* [[フセヴォロド3世]](-1212年)
* [[ユーリー2世]](-1216年)
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[[sr:Владимир-Суздаљ]]
[[sv:Vladimir-Suzdal]]
[[th:วลาดิเมียร์-ซุสดาล]]
[[uk:Володимиро-Суздальське князівство]]