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==松前氏==
蠣崎季の子・[[蠣崎慶広]]の代には上洛して、天下を平定した[[豊臣秀吉]]([[関白]]、[[太閤]])に拝謁することで本領を安堵された。これによって[[秋田氏]](旧安東氏)から名実ともに独立する事になった。[[天正]]19年([[1591年]])、秀吉の命に応じて[[九戸政実]]の乱に参陣。秀吉の死後は[[徳川家康]]に接近して[[慶長]]4年([[1599年]])、姓名を[[松前慶広]]に改める。その後、[[慶長]]8年([[1603年]])徳川家康は[[征夷大将軍]]の宣下を受ける。こうして[[征夷大将軍]]のお墨付きを得て[[松前氏|松前]]と改めた蠣崎氏は、江戸時代を生き抜くことに成功したのである。当初は米が穫れない蝦夷において無石の島主扱いに過ぎなかったが、5代・[[松前矩広|矩広]]の代に[[交代寄合]]を経て、[[享保]]4年([[1719年]])には[[大名]]に昇格し正式に1万石格の[[松前藩]][[藩主]]となった。幕末には、藩主の[[松前崇広]]が外様大名ながら幕府の[[老中]]に取り立てられている。
 
==明治維新以後==