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'''蠣崎 季繁'''(かきざき すえしげ、生年不詳 - [[寛正]]3年[[5月12日 (旧暦)|5月12日]]([[1462年]][[6月9日]]))は、[[室町時代]]中期の[[武将]]。上之国花沢館(現在の[[北海道]][[檜山郡]][[上ノ国町]])の館主。[[若狭国]]の生まれ。[[上国守護|上国守護職]]。
 
[[若狭国]]の守護[[武田信繁 (室町時代)|武田信繁]]の近親で、[[蝦夷地]]に渡って下之国[[安東政季]]の娘婿となり、[[蠣崎氏]]を名乗って[[花沢館]]に住んだとされるが、様々な伝承があり定かではない。
 
『[[新羅之記録]]』によれば、政季は[[1456年]]([[康正]]2年)、分家で[[秋田郡]]の領主であった[[秋田城介]][[安東惟季|安東尭季]](惟季)の招きに応じ秋田小鹿島(現[[秋田県]][[男鹿市]])に移る際に、[[茂別館]]主の[[安東家政]]([[下国守護]])、[[大館]]館主の[[安東定季|下国定季]]([[松前守護]])、花沢館館主の季繁(上国守護)の3名を「守護」に任じたとされているが、実態は[[安東家政]]或いは[[安東定季]]が一人守護として統括していたとする見解<ref>[[入間田宣夫]]他編 『北の内海世界』 [[山川出版社]]、1999年、ISBN 4634607506</ref>も出されている。