「岡村浩二」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
Point136 (会話 | 投稿記録)
編集の要約なし
37行目:
[[1964年]]には、初めてオールスター戦に出場。この頃には[[野村克也]]([[福岡ソフトバンクホークス|南海ホークス]])の影に隠れながらも、パ・リーグを代表する捕手の1人となっていた。
 
[[1969年]]にはライバル・野村を押しのけて、初のベストナインを受賞。1967年からのブレーブスのリーグ3連覇にも、主力捕手の1人として貢献した。だがその年(1969年)の[[日本選手権シリーズ|日本シリーズ]]第4戦では、主審・[[岡田功]]の判定に激怒し、岡田を殴って[[日本選手権シリーズ|日本シリーズ]]史上初(2008年時点で唯一の[[退場]]処分を受けている(※後述)。その後、[[1971年]]にもリーグ優勝を経験した。しかし同年オフに、[[種茂雅之]]との珍しい「正捕手+立教大学出身同士」の交換トレードで、[[阪本敏三]]・[[佐々木誠吾]]と共に東映フライヤーズへ移籍(このトレードには、岡村と上記3人の他、[[大橋穣]]遊撃手も関わっている)。
 
移籍後は出場機会が次第に減り、チームの親会社が日本ハムに変わった1974年のシーズン途中で現役を引退した。