「テオバルド2世 (ナバラ王)」の版間の差分

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1253年、父王の死去によって王位と伯位を嗣いだ。しかしまだ若かったため、母親が1256年まで[[摂政]]を務めた。テオバルド2世は1255年、[[フランス王国|フランス]]王[[ルイ9世 (フランス王)|ルイ9世]]の王女[[イザベル・ド・フランス (ナバラ王妃)|イザベル]]と結婚した。義父とも親しくなり、相談を持ちかけたりしていたという。
 
1270年、テオバルド2世はルイ9世が主導する[[第8回十字軍]]に参加したが、ルイ9世は遠征先の[[チュニジア]]で同年8月に病死し、帰途に就いたテオバルドも同年12月に[[シチリア]]でした。嗣子はおらず、弟の[[エンリケ1世 (ナバラ王)|エンリケ]](アンリ)が王位と伯位を継承した。
 
{{ナバラ王|1253年-1270年}}