「ヒズマジェスティ」の版間の差分

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また、ヒズマジェスティは後継の種牡馬にも恵まれた。初年度産駒のコーモラントは[[ケンタッキーダービー]]馬[[ゴーフォージン]]などを出し、[[プレザントコロニー]]もまた[[プレザントタップ]]をはじめとした多数の産駒が重賞勝ちを収めてその系譜を伸ばしていった。現在もその父系は残っており、[[ジャパンカップ]]で優勝した[[日本]]調教馬[[タップダンスシチー]]もこの系統の出身である。なお、一部の産駒は[[日本]]に種牡馬として輸入されていったが、どれも現地であまり成功しなかった。
 
1995年9月14日、ダービーダンファームにて[[殺処分|安楽死]]処置が施され、27歳で永眠した。
 
== 血統表 ==