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1976年から1978年まで[[クメール・ルージュ]]軍の第四歩兵大隊の指揮官および政治委員。1978年に[[ポル・ポト]]に対する[[クーデター]]を企てるが失敗に終わり、[[ベトナム]]に逃亡。ベトナム国内で1978年12月に結成されたカンボジア民族救国統一戦線の議長に就任し、ベトナム軍とともにカンボジアに進撃し、[[1979年]][[1月7日]]の[[プノンペン]]陥落後、人民革命評議会の議長となり、「カンボジア人民共和国」の樹立を宣言、またカンボジア人民革命党を再建し、その書記長となった。
 
議長就任後も[[タイ王国|タイ]]国境でクメール・ルージュおよび他勢力からの武力抵抗に直面したほか、ベトナム軍の支援を受けた政権として多くの国から政府承認を得られず、[[国際連合|国連]]の議席もクメール・ルージュらの「民主カンボジア」に握られたままであった。その後党書記長の地位を[[ペン・ソバン]]に譲ったが、後に復活した。[[1991年]][[10月]]のパリ和平合意によってカンボジア最高国民評議会が成立すると、「カンボジア国」([[1989年]]に「カンボジア人民共和国」を改称)国家元首の地位を退いた。
 
[[フン・セン]]首相下で表舞台から退いていたが、2006年に下院議長に就任した。カンボジア人民党名誉議長を務めている。