「ミハイル・ロモノーソフ」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
TXiKiBoT (会話 | 投稿記録)
m ロボットによる 追加: eu:Mikhail Lomonosov
Xqbot (会話 | 投稿記録)
m ロボットによる 追加: ko:미하일 로모노소프; 細部の編集
35行目:
ロモノーソフは[[地理学者]]でもあり、[[アルフレート・ヴェーゲナー|ヴェーゲナー]]の[[大陸移動説]]を思わせる記録を残している<ref>[http://www.zoohall.com.ua/leftframes/ecolog/greenplanet/jizn1.htm ''Life and Death of [[アルフレート・ヴェーゲナー|Alfred Wegener]]''] by Alexey Fedorchuk {{ru icon}}</ref>。また、南海から[[氷山]]が来ることから[[南極大陸|南極]]の存在を予言している<ref>[http://www.eduard-belcher.org/belcher-stati5.html Eduard Belcher ''Prediction of Antarctica by Lomonosov''] {{ru icon}}</ref>。また、航海中の距離と方位をより簡単に求める道具も発明している。[[1764年]]、チカゴフ将軍{{enlink|Vasili Chichagov}}を隊長とする探検隊を組織し、[[シベリア]]北岸から出て[[大西洋]]と[[太平洋]]を結ぶ[[北極海航路]]を発見した。また同じ[[1764年]]、州の大臣に任命された。
 
== 美術 ==
[[Imageファイル:Poltava battle.jpg|thumb|left|ロモノーソフが描いた1717年の[[ポルタヴァの戦い]]のモザイク画]]
ロモノーソフは[[モザイク|モザイク画]]も手がけており、[[1754年]]に[[レオンハルト・オイラー|オイラー]]に送った手紙では自身の化学に関する発見をモザイク画を付けて説明している。[[1763年]]にはイタリアの技術を導入して[[ステンドグラス]]の工場も作っている。彼は40の作品を作っているが、現存するのは24のみである。とりわけ[[ピョートル1世]]の肖像画と4.8 x 6.4メートルの『[[ポルタヴァの戦い]]』の画が優れている<ref>[http://www.foxdesign.ru/aphorism/biography/lomonosov.html Lomonsov biography]</ref><ref>[http://lomonosov.pomorsu.ru/moz.html]</ref><ref>[http://grokhovs1.chat.ru/lomonos/lomono5.html ''М. А. Безбородое'' М.В.Ломоносов. Фабрика В Усть-Рудицах<!--Bot-generated title-->]</ref>。{{-}}
 
== 人文科学の業績 ==
[[1755年]]、ロモノーソフは[[古代教会スラヴ語]]に[[口語]]を取り入れた[[ロシア語]]の[[文法|文法書]]を書いている。その新しい文体で作った20もの[[頌歌]]を書いており、とりわけ『神の偉大さについての夕べの瞑想』が優れている<ref name=maip>百科事典マイペディア 電子辞書版 (c)2006, 日立システムアンドサービス</ref>。<!--すまん、ここは分からん。He applied an idiosyncratic theory to his later poems{{ndash}}tender subjects needed words containing the front vowel sounds E, I, YU, whereas things that may cause fear (like "anger", "envy", "pain" and "sorrow") needed words with back vowel sounds O, U, Y. That was a version of what is now called [[音象徴|sound symbolism]].-->ロモノーソフは[[1760年]]、ロシア史の本を出版する。また、未完に終わっているが、[[アエネイス]]や[[ウェルギリウス]]を意識した[[ピョートル1世]]を称える著作にも取り組んだ。
 
== 死後 ==
[[Imageファイル:Lomonosov Grave.jpg|thumb|right|[[サンクトペテルブルク]]の[[アレクサンドル・ネフスキー大修道院]]にあるロモノーソフの墓]]
ロモノーソフは[[1765年]]、サンクトペテルブルグで死んだ。男子は残さなかった。ロモノーソフが生きている間、業績がロシア国外に伝わることはほとんどなく、ヨーロッパで彼の業績が知られるのは彼の死後かなり経ってからである。
 
彼の孫娘ソフィア・コンスタンティノーヴァ(1769-1844)はロシアの英雄軍人で政治家のニコライ・ラエフスキー{{enlink|Nikolay Raevsky}}と結婚している。後年、彼にちなんで月の[[クレーター]]の一つがロモノーソフ{{enlink|Lomonosov (lunar crater)}}と名づけられている。火星のクレーターにも付けられている{{enlink|Lomonosov (Martian crater)}}。[[1948年]]、大西洋の[[海嶺]]の一つがロモノーソフ海嶺{{enlink|Lomonosov Ridge}}と名づけられている。{{-}}
 
== 関連項目 ==
*[[ロモノーソフ金メダル]]
*[[モスクワ大学]]
*[[:en:Ivan Kulibin|Ivan Kulibin]]
 
== 外部リンク ==
* [http://lomonosovo.ru Сайт о М. В. Ломоносове] — жизнь, научная деятельность, творчество, историческая родина, туризм на родину Ломоносова, 300-летний юбилей М. В. Ломоносова
*[http://max.mmlc.northwestern.edu/~mdenner/Demo/poetpage/lomonosov.htm Illustrated chronology of Lomonosov's life]
60行目:
*{{ru icon}} [http://www.russia-today.narod.ru/past/gen/lomonosov.htm The descendants Mikhail Vasilyevich Lomonosov]
 
== 参考文献 ==
{{reflist|2}}
{{DEFAULTSORT:ろものそふ みはいる}}
93行目:
[[it:Michail Vasil'evič Lomonosov]]
[[ka:მიხეილ ლომონოსოვი]]
[[ko:미하일 로모노소프]]
[[ku:Mîxaîl Lomonosov]]
[[kv:Ломоносов Василей Микайлӧ]]