「平将恒」の版間の差分

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{{基礎情報 武士
{{武士/開始|平将恒/秩父将常}}
| 氏名 = 平将恒/平将常
{{武士/| 時代| = [[平安時代]]中 - 後期}}
{{武士/生誕|[[寛弘]]4年([[1007年]])}}
{{武士/死没| 生誕 = [[天喜寛弘]]54年([[10571007年]])}}
| 死没 = [[天喜]]5年([[1057年]])
{{武士/官位|武蔵権大掾}}
| 改名 =
{{武士/氏族|[[桓武平氏]][[秩父氏]]}}
| 別名 = 大蔵太郎、六郎、秩父将恒、秩父将常
{{武士/父母|父:[[平忠頼]]  母:[[平将門]]の娘}}
{{武士/| 官位| = 武蔵権大掾}}
{{武士/兄弟|[[平将恒|将恒]]、[[平忠常|忠常]]、[[平頼尊|頼尊]]}}
{{武士/| 氏族| = [[桓武平氏]][[秩父氏]]}}
{{武士/妻|[[正室]]:[[武蔵武芝]]の娘 <br> [[継室]]:[[平忠通]]の娘}}
{{武士/| 父母| = 父:[[平忠頼]]  母:[[平将門]]の娘}}
{{武士/子|[[秩父武基]]、[[豊島武常]]、[[小山田常任]]}}
{{武士/| 兄弟|[[平 = '''将恒|将恒]]'''、[[平忠常|忠常]]、[[平頼尊|頼尊]]}}
{{武士/終了}}
{{武士/| |[[ = 正室]]:[[武蔵武芝]]の娘 (『[[西角井系譜]]』)<br /> [[継室]]:[[平忠通]]の娘}}
{{武士/子| 子 = [[秩父武基]]、[[豊島武常]]、[[小山田常任]]}}
 
'''平 将恒'''(たいら の まさつね)は[[平安時代]]中期から後期の人物、[[武士豪族]][[武将]]。[[秩父氏|秩父党]]の祖。[[諱]]は'''将常'''なった人物であるも。[[平忠頼]]の子
 
== 概要 ==
'''将常'''とも。[[平忠頼]]の子。兄弟に[[平忠常]]、[[平頼尊|頼尊]]。妻は[[武蔵武芝]]の娘(『[[西角井系譜]]』)。別名は大蔵太郎、六郎。
 
兄弟である忠常が起こした[[平忠常の乱]]に加担せず、勢力を大きく減退させることは無かった。
 
[[1023年]]([[治安 (元号)|治安]]3年([[1023年]])、[[武蔵介]][[藤原真枝]]が勅命に反し[[武蔵国]]にて兵を起こした。将恒はそれを鎮圧した功で、[[駿河国|駿河]]・[[武蔵国|武蔵]]・[[上総国|上総]]・[[下総国|下総]]に領地を得たという。
 
[[武蔵国]][[秩父郡]][[中村郷]]に因んで[[秩父氏]]若しくは[[中村氏]]を称した。将恒の子孫は秩父平氏として武蔵の[[豪族]]として発展することになる。
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[[前九年の役]]にて、51歳で戦死したと云われる。
 
長男・武基の生母は[[武蔵武芝]]の娘、次男・武常と三男・常任の生母は[[平忠通]]の娘とされる(『[[桓武平氏良文系全系図‎]]』より)。
 
== 関連項目 ==
* [[秩父氏]]
 
{{先代次代|[[秩父氏|秩父氏歴代当主]]|-||[[秩父武基]]}}
 
{{DEFAULTSORT:たいら まさつね}}
[[Category:平氏|まさつね]]
[[Category:秩父氏]]
[[Category:豊島氏]]
[[Category:平安時代の武士]]
{{people-stub}}
{{Japanese-history-stub}}