「夏侯楙」の版間の差分

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[[趙雲]]と[[魏延]]から「臆病で策無しの男」と酷評された点もあってか、[[227年]]に諸葛亮が北伐を開始した時、自ら進んで総大将となるが、これと戦っていいようにあしらわれ、敵将の[[王平]]に捕らえられる。捕虜になっている最中も諸葛亮の策にかかり[[姜維]]を[[蜀]]に寝返らせるきっかけを作っている。最後には[[馬遵]]と共に[[羌]]族の土地へ逃げて、それ以降は魏に帰らなかったとされる。
 
また、[[司馬懿]]が[[曹叡]]に、[[夏侯淵]]の息子達([[夏侯覇|覇]]・[[夏侯威|威]]・[[夏侯和|和]]・[[夏侯恵|恵]])を従軍させたいと言った時に、曹叡が「その者達は[[胡]](えびす、この際は羌を差す)に逃亡してしまい、戻らぬ夏侯楙将軍と比べてどうか(彼奴よりはマシなんだろうな?)」という下りがあったとされるが、実際のところは(『正史』の場合)全く不詳である。
 
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