メインメニューを開く

差分

編集の要約なし
'''目白文化村'''は、[[大正]]時代から[[昭和]]時代にかけて存在した、郊外住宅地の名称。現在の[[東京都]][[新宿区]][[中落合 (新宿区)|中落合]]1丁目と2丁目の一部、3丁目と4丁目の大半、[[中井 (新宿区)|中井]]2丁目、[[西落合 (新宿区)|西落合]]1丁目一部にかかる一帯の区域に該当する。
 
[[1914年]]に[[堤康次郎]]が、[[東京府]][[落合町 (東京府)|落合村]]下落合の大地主宇田川家から2667坪を購入。以後毎年の様に[[早稲田大学]]や[[近衛家]]・[[相馬家]]所有の地所など周辺の土地を入手していった。更に堤自身も下落合に居を構えると共に、堤の経営する[[箱根土地]]や東京護謨(現在の[[西武ポリマー化成]])が事業拠点を移すなど、一体の開発を本格的に始めていった。
800

回編集