「ウィクトル3世 (ローマ教皇)」の版間の差分
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[[1086年]][[5月24日]]に教皇に選ばれたが、教皇職を引き受ける気がほとんどなかったため、教皇着座式が行われたのは選挙の一年も後になった。彼は当時のローマにいた対立教皇[[クレメンス3世 (対立教皇)|クレメンス3世]]の圧迫を嫌ってモンテ・カッシーノにひきこもってしまい、トスカーナ公妃マティルダにローマ帰還を説得されている。1087年8月にベネヴェントで教会会議を開き、対立教皇の破門、俗人による叙任の禁止、アフリカでのサラセン人への軍事行動などを決議した。教皇自身は会議中に病にかかり、9月16日に同地で没した。
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