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{{Otheruses|スコットランド出身の薬理学者|イギリス出身のフィギュアスケート選手|ジェームス・ブラック (フィギュアスケート選手)}}
 
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{{Thumbnail:ノーベル賞受賞者|1988年|ノーベル生理学・医学賞|薬物療法における重要な原理の発見}}
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'''ジェームス・ワイト・ブラック'''('''Sir James Whyte Black'''、[[1924年]][[7月14日]] - )は[[スコットランド]]の[[薬理学者]]。[[ダンディー大学]]学長。英国[[アストラゼネカ|ICI]]にてアドレナリンベータ受容体遮断薬[[プロプラノロール]]を発明した後,英国[[グラクソ・スミスクライン|スミスクライン&フレンチラボラトリーズ]]で初のヒスタミンH2受容体遮断薬[[シメチジン]]の開発に成功,シメチジンは胃潰瘍・十二指腸潰瘍の治療において革命的な変化をもたらすとともに,標的分子を特定しそれに選択的な低分子阻害薬を開発するという現代の創薬研究の嚆矢と呼べるものであった。これらの栄誉が讃えられ,1988年に[[ノーベル生理学・医学賞]]を受賞した。
 
'''ジェームス・ブラック'''('''Sir James Whyte Black'''、[[1924年]][[7月14日]] - )は[[スコットランド]]の[[薬理学者]]。[[ダンディー大学]]学長。英国[[アストラゼネカ|ICI]]にてアドレナリンベータ受容体遮断薬[[プロプラノロール]]を発明した後,英国[[グラクソ・スミスクライン|スミスクライン&フレンチラボラトリーズ]]で初のヒスタミンH2受容体遮断薬[[シメチジン]]の開発に成功,シメチジンは胃潰瘍・十二指腸潰瘍の治療において革命的な変化をもたらすとともに,標的分子を特定しそれに選択的な低分子阻害薬を開発するという現代の創薬研究の嚆矢と呼べるものであった。これらの栄誉が讃えられ,1988年に[[ノーベル生理学・医学賞]]を受賞した。
 
ビース高等学校(スコットランド、[[ファイフ州]]、Cowdenbeath)を卒業後、[[セントアンドリューズ大学]]にて[[医学]]を学ぶ。その後、[[マラヤ大学]]、[[グラスゴー大学]]獣医学校で講義を行い、[[ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン]]及び[[キングス・カレッジ・ロンドン]]にて[[教授]]となる。1988年のノーベル生理学・医学賞の他、[[1976年]]には[[王立協会]]の会員となり、同じ年に[[アルバート・ラスカー臨床医学研究賞]]を受賞、[[1979年]]には[[ガードナー国際賞]]を受賞、1981年には[[ナイト|ナイト・バチェラー]]に叙せられる。1982年、[[ウルフ賞医学部門]]受賞。
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彼は[[医師]]として、また[[基礎科学者]]として、[[心臓病]]の基礎的及び臨床的な知識に貢献した。[[交感神経β受容体遮断薬]]である[[プロプラノロール]]の発明は[[狭心症]]の治療に革命をもたらし、[[20世紀]]の[[臨床医学]]及び[[薬理学]]への最も重要な寄与の一つとされる。彼の研究方法、[[アドレナリン]]の[[薬効薬理]]の発見、[[心臓]]のメカニズムの解明、これらは全て彼の仕事の強さである。
 
 
{{ノーベル生理学・医学賞受賞者 (1976年-2000年)}}