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[[ハイデッガー]]は、この了解概念をさらに拡大し、これを[[気分]]とともに世界にかかわる[[現存在]]のあり方、その自己遂行の基本的様態(「[[存在]]」了解)として捉えた。ハイデッガーにとっての了解は、たとえば道具の意味了解にみられるように、その使用能力をも意味するものとして、プラクティカルな性格をもつ。その点は歴史に関しても同じであり、歴史の了解は、現在における世界定位というプラクティカルな性格をもつ。
 
また、[[ガダマー]]の[[解釈学]]的反省は、この考え方をさらに発展させたものである。ディルタイの了解にとって、力点が置かれているのは、観察主体による心的再演ないし[[構想力]]による他者の経験の再構成にあり、デカルト的個人主義が基調とされていたが、ガダマーは、この発想を離れ、了解の根底には、相異なる準拠枠([[ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン|ウィトゲンシュタイン]]流に言えば[[生活形式]])の交流があるとした。すなわちガダマーにとっての了解とは、他なる存在様態に対する観察を通じてその他者の視座(意味をもたらす枠組み)を把握することで観察者自らの自己認識を高めていく創造的過程なのである(『真理と方法』)。
 
 
== 社会学における「了解(理解)」 ==
=== 理解社会学 ===