「比嘉寿光」の版間の差分

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{{by|2006年}}も二軍でチーム2位の72試合に出場したが打率.200と低迷し、{{by|2007年}}は二軍で4番を打つなど期待されたが、打率.228と不調に終わった。二年とも一軍出場はなかった。出場機会を増やすため、本職の[[三塁手]]だけでなく[[一塁手]]・[[二塁手]]・[[外野手]]としても起用されている。{{by|2008年}}は[[新井貴浩]]が抜けたことでチャンスが巡ってくるかと思われたが、春先に故障。三塁のポジションもそれまでのライバルから三塁経験に乏しい選手までひしめき合う激戦区となり、二軍でも少ないチャンスを活かせず、プロ入り後最低の成績となった。{{by|2009年}}からは背番号が変更されることになった。
 
[[2009年]]10月9日、戦力外通告を受ける。<ref>http://www.carp.co.jp/news09/s-042.html 戦力外通告のお知らせ</ref> <br />
 
== 詳細情報 ==
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* 初出場・初打席・初本塁打 2005年9月19日横浜戦(横浜) 8回松本高の代打、ホルツから中越え2ラン
:※代打初打席本塁打はセ・リーグでは1985年5月11日[[青島健太]]以来20年ぶりの記録。
 
== 脚注 ==
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== 関連項目 ==