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山元 (会話 | 投稿記録)
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十手は、30cm~1mほどの[[鋼|鍛鉄]]・[[真鍮]]・[[銀|鍛銀]](打ち伸ばした銀)と言った金属や、[[樫]]・[[栗]]などの堅牢な木でできた棒の手元に鈎をつけた[[武具]]・[[捕具]]である。防御に用いたり、突いたり打ったりして攻撃に用いたりする。
 
[[江戸時代]]に[[陳元贇]]が十手([[釵|筆架叉]])を日本に伝えたとする文献もあるが、[[室町時代]]中期あたりから十手術が登場する。[[室町時代]]後期から[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]にかけて[[兜割]]という刃が付いていない鉤を設けた刀状の[[捕具]]・[[武具]]が登場し、その系譜を継いで十手術とする見解もある。
 
鉤で敵刃を絡め捕る用法の他、[[半棒術|短棒術]]として相手の手足を絡め捕り[[柔術|柔]]へと繋げる絡め手により捕縛する十手術がある。[[江戸時代]]には対悪徒用の捕物用武具として[[江戸町奉行]]所の[[与力]]、[[同心]]に、また鑑札と共に捕り物の際の手伝いという名目で同心に仕える[[小者]](誤って[[岡っ引]]、関八州では目明しとされることもあるが、この両者は非合法に雇われた者であり十手を渡されることはない、私物で持っていることはあった)に渡されていた。また、[[時代劇]]などで紫の房などをつけていることがあるが、これも現実にはないフィクションである。持ち運び方も時代劇では帯に差しているが、実際は十手袋といわれる袋に入れ、懐に入れていた。