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'''小田 朝久'''(おだ ともひさ、[[1417年]][[3月23日]]([[応永]]24年[[3月5日 (旧暦)|3月5日]]) - [[1455年]][[6月5日]]([[享徳]]4年[[4月20日 (旧暦)|閏4月20日]]))は、[[室町時代]]中期の[[武将]]。[[小田氏]]の第12代当主。第11代当主・[[小田持家]]の子。[[小田成治|成治]]の父。官位は中務大夫。[[讃岐国|讃岐]][[国司|守]]。別名に知久
 
[[1455年]]、[[足利成氏]]に従って[[古河市|古河]]を守備した。同年春、成氏の命を受けて[[上杉房顕]]・[[長尾景仲]]らを討伐するために[[常陸国|常陸]][[小栗城]]を攻撃中に陣中で病に倒れ、父に先立って閏4月20日に病死してしまった。[[享年]]39。家督は子の成治が継いだが幼少の為、父の持家が後見人となった。