「縦横家」の版間の差分

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巧みな弁舌と奇抜なアイディアで諸侯を説き伏せ、あわよくば自らが高い地位に昇ろうとする、そのような行為を弁舌によって行う者が縦横家である。合従策を唱えた[[蘇秦]]と連衡策を唱えた[[張儀]]が有名→[[合従]][[連衡]]。[[蘇秦]]はその弁舌によって同時に6国の宰相を兼ねたとされている。
「縦横家」という言葉も彼らの策の名前に由来する(「縦」=「従」諸国が連合し秦に対抗する=合従、「横」=「衡」秦と同盟し生き残りを図る=連衡)
*合従は諸国が連合し秦に対抗する政策のことで、これは、秦以外の国が秦の東に南北に並んでいることによる。
*連衡は秦と同盟し生き残りを図る政策のことで、信徒それ以外の国が手を組んだ場合、それらが東西に並ぶことを「横」=「衡」といったことによる。
 
なお、連衡の論者は往々にして秦の息のかかったものであり、それ以外の国の間を対立させ、どこかの国と手を組むことで敵になった国を攻撃し、あるいは手を組んだ国から土地や城を供出させることを目指した。[[張儀]]はその典型である。これによって、次第に秦の版図は拡大し、ついに全国統一を行うに至る、というのが戦国時代後半の歴史である。
 
==代表的人物==
28,698

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