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=== ユリウス暦の暦法 ===
[[ユリウス・カエサル]]がエジプトを征服した[[紀元前46年]]に、[[アレキサンドリア]]の[[暦学者]][[ソシゲネス]]に命じて[[エジプト暦]]を改良した暦を[[古代ローマ]]に導入したこれを[[ユリウス暦]]という。当時使われていた[[ローマ暦]]は実際の季節と3ヶ月もずれてしまっていたためこれを調整するために閏月を3ヶ月分設置して調整挿入した。なお、この際に春分を3月25日と定め、年始をマルティウスからジャヌアリウスに移動させ、クインティリスを自分にちなんだジュリウスと改称させた。ところが

カエサル暗殺後本来なら閏年を4年に1度とすべきところを誤って3年に1度入れてしまったため、3日間のずれが生じてしまった。そこで、後継者となった[[アウグストゥス]]がこれを調整したが、その際にセクスティリスを自らにちなんでアウグストゥスと改称させ、フェブルアリウスを30日から29日にして代わりにアウグストゥスを30日から31日に改めている。

[[326年]]に行われた[[キリスト教]]による[[ニカイア公会議]]は、春分を3月21日、[[復活祭]]を春分後の満月の後の最初の日曜日とすること、その復活祭の日付をにその他の[[移動祝祭日]]の日程を定めることを決定した。ユリウス暦では28年を周期とする[[日曜文字]](Dominical Letter)と春分翌日である3月22日の月齢([[エパクト]])に基づいて算出された。ただし、ユリウス暦にも実際の太陽年との誤差ずれが存在したものの、教会当局は暦上の春分を重んじるようた。そのためなり、実際の太陽年とのずれが酷は次第に大きくなった。り、16世紀には実際の春分が3月11日に到来していることが知られるなどの問題が生じてきた。
 
=== グレゴリオ暦の暦法 ===