「橋本欣五郎」の版間の差分

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東京裁判の際には、全被告の中で唯一アメリカ人弁護人がつく事を頑なに拒み続けた。
 
一方で橋本は、[[詩]]の才能にも長けていることでも知られていた。[[重光葵]]が認めた手記『巣鴨日記』(「[[文藝春秋 (雑誌)|文藝春秋]]」[[1952年|昭和27年]]8月号掲載)によると、戦時中に、とある朝鮮人男性が[[東京]]の[[帝国ホテル]]に宿泊した際、[[ウェイター|給仕]]の日本人女性に一目惚れし、[[駆け落ち]]同然で[[朝鮮半島]]へ渡った。しかし、日本の降伏を迎え、[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]側意向で、日本人は朝鮮から追われることとなり、女性はその事を苦に、[[玄界灘]]に身を投げて、自殺してしまった。後に、その男性が訪日して橋本のもとを訪れ、その女性の墓を男性の故郷に建てる事となったので、墓に刻む詩を書いてもらいたい、と橋本に依頼したというエピソードがあったという。
 
==著書==