「張邈」の版間の差分

(臧洪伝についての記述を戻す(疑義が呈された部分を除いて))
翌[[196年]]、雍丘は曹操軍の攻撃によって陥落。張超は焼身自殺し、張邈の三族(父母、兄弟、実子と養子)も、曹操によって皆殺しの刑に処せられた。
 
小説『[[三国志演義]]』でも、若干の脚色を除いては、ほぼ同様の描写がなされている。
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