「英雄記」の版間の差分

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'''英雄記'''とは、[[中国]][[後漢]]末期について書かれた歴史書。内容は後漢末期の軍閥の事績を記載したものである。著者は[[王粲]]らである。早く散逸したため、明代に王世貞が『[[三国志 (歴史書)|三国志]]』注などに引かれた[[逸文]]を集めて輯本を編した。
 
成立年代は明らかでないが、『英雄記』で年代の明らかな記事の中では建安13年の記事(『[[太平御覧]]』巻771に引く記事。[[曹操]]が赤壁でイカダを組んで長江を渡ろうとして[[周瑜]]の火攻に遭ったという記載)が最も新しく、これ以後から王粲が死去する建安22年までの成立である可能性がある。
 
『[[隋書]]』「経籍志」に「漢末英雄記八卷王粲撰、殘缺。梁有十卷。」との記載があり、『[[旧唐書]]』「経籍志」に「漢末英雄記十巻王粲等撰。」との記載がある。この『漢末英雄記』が『英雄記』のことであると考えられている。「漢末」という語については[[四庫全書総目提要]]に考察があり、「按ずるに王粲は後漢の建安年間中に死亡している。後漢の天命は滅亡の兆しを示していたとはいえ、まだ帝位は魏に移っていなかった。書物に『漢末』になどと名づけるはずがなく、後世の人間が追加した題名であるようにも思える。しかしながら、王粲が『従軍詩』の中で曹操を『聖君』と称えているのを考えれば、魏を新王朝であるかのように見なしており、この書名は怪しむに足りない」と記述している。
 
また、『続漢書』「郡国志」会稽郡の条の劉昭注に『英雄交争記』なる書物が引かれているが、これも『英雄記』と同一書である可能性がある。