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試合だけでなく、自分の言葉と思想で自分の存在をファンに訴えかけた選手であった(生前最後に受けた1988年4月における『[[週刊プロレス]]』でのインタビューでは、事前にインタビュアーの斉藤文彦に「今回のインタビューは3週連続で掲載してくれ」と提案するなど、マスコミ向けに常に色々とアイディアを持ちかけていた。そしてこのインタビューは、ブロディの提案通り3週連続で掲載された)。
 
しかしブロディは1981年仙台での対[[ファンクス]]戦で荒れ模様となった試合後半、父親の援護にと無意識にリングに上がった[[ドリー・ファンク・ジュニア]]の息子にフライング・エルボー・ドロップなどの攻撃を本気で与え、ドリーの息子は顔面から大出血、失神状態となり危険な状態にさせた。このプロが素人相手に攻撃を与えた行為は世間から非難された。
 
ブロディは日本人選手の中で[[ジャンボ鶴田]]を特にライバル視しており、鶴田への競争意識から2度目の来日時(1980年1月)には初来日時よりウェイトを落として臨んだという(2000年春ごろの[[FIGHTING TV サムライ|サムライTV]]での鶴田追悼番組において[[百田光雄]]が証言している)。また、全日本離脱直後に行われた1985年4月掲載の『週刊プロレス』インタビューでは「[[長州力]]は[[しょっぱい]]。鶴田の方が断然優れている」とまで語っている。
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