「リン・コンウェイ」の版間の差分

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男性として生活している期間に、コンウェイは女性と結婚し、2人の子供も儲けた。IBMでの職を失い、子供との面会もできなくなり、コンウェイは女性プログラマとして人生をやり直すこととなった。[[1973年]]、[[パロアルト研究所]]で働くようになり、ここで[[カーバー・ミード]]と共にVLSIの設計について研究し、有名な著書『超LSIシステム入門』(''Introduction to VLSI Systems'')を出版した。これは[[集積回路]]の技術発展に多大な貢献をしたが、コンウェイが[[性転換]]者(性別移行者)であり長年にわたって隠遁に近い生活を余儀なくされたため、1999年になるまでその実績も闇に隠されていた。
 
[[1980年代]]初め、コンウェイは[[国防高等研究計画局|DARPA]]で働いた。その間彼女は現在の[[インターネット]]の基礎となる研究もおこなった。その後、[[1985年]]、[[ミシガン大学]]の教授となった。1989年、[[全米技術アカデミー]]に選ばれた。<!-- 何に? フェロー? --> 1998年にミシガン大学を引退し、同大学の名誉教授となった。
 
[[1998年]]12月引退、完全に女性として生きていくことを決めた。1999年、IBMでの話が公けにされ、以来コンウェイは性転換を望む人々の代弁者として活動している。特に[[レイ・ブランシャール]]([[:en: Ray Blanchard]])の[[オートガイネフィリア]]や[[性転換症]]を[[同性愛]]と結びつけ[[パラフィリア]]や[[性的倒錯]]とみなす考えに厳しい批判を行った。そして[[モロッコ]]在住の[[フランス]]人形成外科医[[ジョルジュ・ビュルー]]([[:en: Georges Burou]])や[[ジョンス・ホプキンス大学]]での翻転法の造膣術を中心とした[[性別適合手術]]の詳細を紹介した論文やの顔の女性化の形成手術について紹介した論文を執筆した。([[性別適合手術]]の項目の外部リンクを参照)そして今日に至るまでを[[MtF]]中心に世界の性別移行([[性同一性障害]])の当時者を支援し、とりわけ米国のトランスウーマン[[:en: transwoman]]の地位向上にも多大な貢献をした。
 
[[2002年]]、コンウェイは1988年から付き合っていた男性と結婚した。