「武田勝信」の版間の差分

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== 生涯 ==
[[米沢藩]]士・米沢[[武田氏]]二代目で、信清の[[嫡子]]。母は[[平田常範]]の娘。正室は[[本庄長房]]の娘。子は[[長尾景光]]室、[[色部利長]]室、[[武田信次]]、[[色部清長]]、[[武田信秀]]室。婿養子に武田信秀。[[武田信安 (米沢藩士) |武田信安]] 、[[長尾景貞]]、[[色部安長]]は孫にあたる。幼名は大勝。通称は喜三郎、大隈、大蔵。
 
慶長12年8月4日米沢で生まれる。寛永4年本庄長房の娘を正室に迎える。寛永19年父・信清が病死し家督相続。禄高1000石。藩主[[上杉定勝|定勝]]の偏諱を受けて勝信と名乗る。慶安元年藩主[[上杉綱勝|綱勝]]の命で通称を大隈と改める。寛文3年上杉家の減封により禄高500石。延宝2年[[上杉綱憲|綱憲]]の命で通称を大蔵と改める。延宝8年9月6日没。享年74歳。嫡男信次は夭折したため、妹の嫁ぎ先[[本庄重長]]の三男信秀を婿養子に迎えた。