「木原信敏」の版間の差分

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'''木原  信敏'''(きはら のぶとし {{jdate|1926}}[[10月14日]] - )は[[日本]]の[[技術者]]であり[[実業家]]。</br>元ソニー木原研究所会長。[[ソニー]]技術中興の祖。創業者[[井深大]]から見出され、ソニー創成期の基礎技術を確立させる。創業期メンバーの一人。[[1990年]][[紫綬褒章]]受賞。
 
== 略歴 ==
東京都生まれ。[[早稲田大学]]専門部工科機械科を卒業し[[1947年]]東京通信工業(現:ソニー)に入社。
 
日本最初の[[テープレコーダー]][[ビデオテープレコーダー]]国産第一号機やベータ方式のVTR「[[ベータマックス]]」、電子スチルカメラ「マビカ」などの生みの親として知られる。[[1970年]]取締役、[[1982年]]専務に就任。</br>
 
[[1988年]]に木原の業績を記念し、設立された「'''株式会社ソニー木原研究所'''」<ref>なお、ソニー木原研究所は2006年6月末にソニーに吸収合併され、開発テーマと社員約70人はソニー技術開発本部に移管された。</ref>
の社長に就任。画像・映像処理分野における先端処理技術の研究開発・商品開発を手がけた。のちに会長に就任。
 
 
== 主な業績 ==
 
* {{jdate|1949}}:日本初の磁気テープ開発
* {{jdate|1950}}:日本初の磁気テープレコーダー開発
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* {{jdate|1981}}:電子スチルカメラ「マビカ」開発
* {{jdate|1982}}:カラービデオプリンター「マビグラフ」開発
 
 
== 主なエピソード ==
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* 高周波を聴き分ける“特技”でNHKの高橋圭三のテレビ番組「私の秘密」に出演した。普通の人間は2万ヘルツまでだが、3万ヘルツまで聴き分けた。
* 木原の結婚式の場で、師と仰ぐ井深より「木原君は金の卵を生むニワトリです」と祝辞を受けた。また井深は「今、皆様がお撮りになっている8mm(フィルム)を電子化するのは彼です」と言い、席上、木原は井深の先見性に驚くと共に、8ミリビデオ開発の原動力になったと述べている。</br>後年、井深に「お約束どおり8ミリビデオを作ることができました」と開発報告をしている。
 
 
== 関連項目 ==
*[[井深大]]
*[[盛田昭夫]]
 
 
== 脚注 ==
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[[Category:東京都出身の人物]]
[[Category:1926年生]]
[[Category:存命人物]]