「フォード・コーティナ」の版間の差分
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なお
== モデルの変遷 ==
デビュー当時の正式名称は「'''フォード・コンサル・コーティナ'''」であったが、[[1964年]]にマイナーチェンジを受けてからは単に「'''フォード・コーティナ'''」と呼ばれるようになった。[[1982年]]に第五世代(通称MK5・フォードは「コーティナ80」と称した)が[[
なお、[[1970年]]登場の第三世代
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[[1964年]]9月にマイナーチェンジを受け、「フォード・コーティナ」に名称変更された。フロントグリルの意匠やダッシュボードが変わった他、「エアフロー・ベンチレーション」が採用されて、室内気排出用のグリルがCピラーに追加された。この方式は有効で、その後ほとんどの乗用車の設計に採用された。
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第二世代目のコーティナであるMk2は、英国フォードの当時のチーフデザイナー・[[:en:Roy Haynes (designer)|ロイ・ヘインズ]]によってデザインされ、[[1966年]]10月にデビューした。上級車の[[:en:Ford Zephyer|ゼファー・ゾディアック]]との近似性の高い、1960年代後半の乗用車として平均的なデザインに生まれ変わったボディは車体幅が60mm広げられ、カーブドガラスが採用されたため居住空間が拡大した。エンジンを含め、機構的には初代(Mk1と呼ばれるようになった)とほぼ共通であったが、前輪には[[ディスクブレーキ]]が標準化された。
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2・4ドアセダン、5ドアワゴンのボディスタイル、ベースモデル・デラックス・スーパー・GT・ロータス<ref>Mk2ロータス・コーティナはフォード工場で生産された。車体が重くなり、Mk1ほど俊足ではなかった。また、最終年の[[1970年]]のみ、「[[ロータス (自動車)|ロータス]]」の名が落とされて、「コーティナ・ツインカム」に改名された。</ref>という車種体系も変わらなかったが、[[1968年]]には「1600E」が追加された。これはロータス・コーティナと同じ足回り、GTのエンジン、ウッド張りのダッシュボード・バケットシート・スポーティーなステアリングやフォグライト・[[:en:Rostyle wheel|ロスタイル・ホイール]]などの専用の内外装を与えた、ロータスを除けば最上級となる車種であった。[[1969年]]にもフロントグリルやバッジ類の小変更を受けた。
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[[1970年]]10月にフルモデルチェンジされたコーティナ・マークⅢは、当時の[[アメリカ車]]の影響が色濃い「コークボトル・ライン」のスタイルとなり、特に全幅が大きくなったためMk3より大分大柄に見えるようになった。また、2000ccエンジン版も追加され、1クラス上の[[:en:Ford Corsair|コーセア]]の後継車としての役割も担うことになった。また、[[フォード・エスコート|エスコート]]・[[フォード・カプリ|カプリ]]に次ぐ英独フォード一元化政策に基づいて、ドイツの[[フォード・タウヌス|タウヌス(TC系)]]と設計が共通化され、両国でほぼ同じモデルが生産されることとなった。ただし、コーティナもドイツ[[フォード・タウヌス]]も長年親しまれていたロングセラーであったので、両車名はそのまま継続され、車体デザインや搭載エンジンにも若干の独自性が残された。
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Mk3コーティナは引き続き英国のベストセラーカーであり続け、ドイツにおけるタウヌスよりも好評であった。<ref>タウヌス12M・15Mは1960年代前半からコンパクトなV型4気筒エンジンや前輪駆動を採用し、技術的にはコーティナより遥かに進歩的であった。このためドイツのタウヌス・ファン達は技術的に退歩した新しいタウヌスを「バロック・タウヌス」と綽名した。</ref> なお、コーティナ・セダンのリアドア部分のデザインはタウヌスよりも抑揚が強く、タウヌスにはコーティナには無い2ドアクーペやV型6気筒エンジン搭載車が用意されるなど、一元化は完全なものではなかった。
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Mk4は[[1976年]]10月、前年に一足先に登場していた[[フォード・タウヌス|タウヌス
Mk4もMk3同様、当時の英国では好調な販売を維持し、後のMk5を含めて1979年までに1,131,850が生産されたが、防錆対策の不備もあって早期にスクラップとされた車が多く、英国内でも今日では残存台数はあまり多くない。
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最後のコーティナとなったMk5は[[1979年]]9月に登場した。当初は「コーティナ・80」として売り出されたが、間もなく誰もがMk5と呼ぶようになった。Mk5はMk4のやや大規模なマイナーチェンジ版で、外観上は大型のヘッドライト・ウインカー、翼型断面を持ち車速に応じてラジエーターへの外気導入量を自然に調節する「ラメイングリル」、平らにされたルーフ、ウインドウ面積の拡大、細くなったCピラー、大型テールライト、内装の質感向上などが行われた。ただし、ワゴンは相変わらずフロント部分のみの変更で、スカットル以降はMk3以来のボディシェルを用いた。
バリエーションはベース、L、GL、ギアの3種類が4ドアセダンと5ドアワゴンに用意されたが、2ドアはベースとLのみに整理された。従来の「S」は強化型サスペンション・太い185/70サイズのタイヤ・フォグランプ・タコメーターなどを含むパッケージオプションとなり、L以上に選択可能となった。また、モデルライフ後半には「カリプソ」・「カルーセル」など各種の特別仕様車が発売され、最後に売られたコーティナは1300・1600・2000ccの4ドアまたはワゴンの「クルセイダー・スペシャル」というモデルであった。
[[1981年]]、コーティナはこの年も英国のベストセラーカーの地位を堅持したが、[[
== イギリス国外での生産 ==
コーティナ
道路・交通事情がイギリスとは異なる[[オーストラリア]]・[[ニュージーランド]]・[[南アフリカ]]などでは早くからV6エンジン搭載車やピックアップトラックなど、独自のモデルが生産された。
== 輸出市場でのコーティナ ==
アメリカにはMk1・Mk2が1960年代を通じて輸出され、自社の[[フォード・ピント]]などの米国製サブコンパクトカーが完成するまでの間、欧州や日本からの輸入小型車に対抗する商品として、全米のフォード販売網を通じて販売された。フォードの販売力によってそこそこの販売成績は収めたが、[[フォルクスワーゲン・タイプ1|VWビートル]]や日本製小型車の敵とはならなった。[[1970年]]に[[フォード・ピント|ピント]]が登場するとコーティナの対米輸出は終了し、Mk3以降は販売されなくなったが、カナダへは1973年モデルまで輸出が続けられた。
その他の輸出先ではタウヌスが売られるケースが多かったが、[[スカンジナビア]]各国や日本ではコーティナとタウヌスは併売された。日本には、[[近鉄モータース]]・ [[ニューエンパイヤモーター]]・[[フォード自動車(日本)]]等によって輸入されたが、販売元は当時は車名を「'''コルチナ'''」と表記していた。また、日本復帰前の[[沖縄]]では「'''コティナー'''」として売られていた。<ref>「沖縄アーカイブス写真集」㈱生活情報センター刊 ISBN4-86126-307-7 159ページに[[1965年]]頃の沖縄でのフォード販売店・コーラルアイルモーターの店頭の写真が掲載されており、それによると当時の英国フォード各車種は「Corsair」が「コセーヤー」、「Cortina」は「コティナー」、「Angria」は「アングリヤ」と標記されている。</ref>
コーティナが日本でよく売れたのは、日本車の技術水準がまだ低く富裕なオーナードライバー向けの車種も少なかった1960年代までで、その後販売は先細りとなっていたが、[[1977年]]に[[フォード自動車(日本)]]はMk4の2.0ギア
== 参考文献 ==
* Wikipedia英語版
* Gazoo名車館 [http://gazoo.com/meishakan/meisha/shousai.asp?R_ID=227 1962年 フォード コンサル・コーティナ]
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{{自動車}}
{{DEFAULTSORT:こ
[[Category:フォードの車種]]
[[Category:ラリーカー|ふおおと こおていな]]
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