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[[Image:FrancoisII.jpg|right|thumb|フランソワ2世]]
'''フランソワ2世'''('''François II de France''', [[1544年]][[1月19日]] - [[1560年]][[12月5日]]、在位:[[1559年]] - [[1560年]])は[[ヴァロワ朝]]第11代[[フランス王国|フランス]]王(在位:[[1559年]] - [[1560年]])。父は[[アンリ2世 (フランス王)|アンリ2世]]母は[[カトリーヌ・ド・メディシス]]で、[[シャルル9世 (フランス王)|シャルル9世]]、[[アンリ3世 (フランス王)|アンリ3世]]の兄である
 
== 生涯 ==
長い間子供に恵まれなかったカトリーヌが授かったはじめの男子で、[[1545年]]父アンリが国王として即位しフランソワは王太子となる。[[1556年]]、フランソワはスコットランド女王[[メアリー (スコットランド女王)|メアリー・ステュアート]]と結婚。1559年、アンリ2世が不慮の事故で逝去。彼はフランソワ2世として即位し、王妃の外戚である[[ギーズ公]]一族が実権を握り、[[プロテスタント]]を弾圧した。
 
フランソワ2世は[[耳鼻咽喉科学|耳鼻咽喉科]]系の先天性の持病を持っており、始終耳の後ろ側から膿を吹き出し、口も半開きにすることが多く、[[耳鼻咽喉科学#口腔・咽頭科学の代表的疾患|咽頭扁桃肥大症(アデノイド)]]の症状を表していたという。そして1560年年末も近い晩秋、彼は狩猟に出かけた帰りに耳の後ろに鋭い痛みを訴えて倒れ、[[中耳炎]]と診断される。侍医は開頭手術を提言したが母[[カトリーヌ・ド・メディシス]]はこれを拒絶、[[中耳炎]]は彼の脳葉にまで達し、[[脳炎]]を引き起こして逝去した。16歳であった。王位はその後、弟[[シャルル9世 (フランス王)|シャルル9世]]、[[アンリ3世 (フランス王)|アンリ3世]]が継承した後、男子が絶えてヴァロワ朝は断絶する
 
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[[Category:ヴァロワ=アングレーム家]]
[[Category:ドーファン]]
[[Category:プロヴァンス伯]]
[[Category:王配]]
[[Category:金羊毛騎士団員]]