「筑波研究学園都市」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
m 113.192.197.2 (会話) による ID:28555903 の版を取り消し 主観的表現など記事として問題のある記述。 |
→住民: 内容にあわせて節名を変更 |
||
56行目:
== 暮らし ==
===
筑波研究学園都市の建設に伴って研究者やその家族が移り住んできたが、移転初期の頃は未舗装の道路も多く、商業施設もまばらであるなど、移住前との生活環境の変化に惑う人たちも多かった。また、地元の人たちは、学園都市建設に反対した人も多く、ことばや生活習慣の違う学園地区住民になにかと反発があった。このため、新来者は「新住民」、在来住民は「旧住民」と呼ばれ
女性に対する男性の比率は全国平均に比べ高い。とはいえ、[[#田園都市]]で後述するように、研究機関の職員は男性の単身赴任が多かった筑波研究学園都市建設当初に比べると、家族で定住することが増えるにしたがって、男女比の均等化は進んでいる。(国勢調査によると、1980年は108.3%、2005年は105.8%)
<!--1990年代ごろには新住民が多数になって珍しい存在でなくなり、また、新旧住民の間の結婚なども進んで、現在では新住民・旧住民ということは表面には上らなくなっている。しかし、新旧住民の融和のために努力した初期の住民たちの努力に現在の住民たちは感謝の気持ちを忘れてはならない。(←融和が進んだ今でも区別するひともいますよ。もっとも、そうだという根拠もそうでないという根拠もない以上、書くべきじゃないと思います。ついでに言うと、「忘れてはならない」というのは主観的表現なので、ウィキペディアにはなじまないですよ。)-->▼
▲1990年代ごろには新住民が多数になって珍しい存在でなくなり、また、新旧住民の間の結婚なども進んで、現在では新住民・旧住民ということは表面には上らなくなっている。しかし、新旧住民の融和のために努力した初期の住民たちの努力に現在の住民たちは感謝の気持ちを忘れてはならない。
=== 外国人研究者 ===
|