「ホーエンツォレルン城」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
→‎関連項目: 追加。
5行目:
 
== ホーエンツォレルン=ヘヒンゲン家と空中楼閣Castro Zolre ==
ホーエンツォレルン家については[[11世紀]]までしかさかのぼれない。ホーエンツォレルン家の元の名であるツォレルン家の名は[[1061年]]にベルトルト・フォン・ライヒェナウの年代記に初めて現れる。シュヴァーベンの一部を支配するツォレルン伯爵であった。[[1218年]](または[[1214年]])にツォレルン家は領地の分割を行って長男の[[コンラート1世 (ニュルンベルク城伯)|コンラート1世]]が[[フランケン]]の領地と[[ニュルンベルク城伯]]の地位を得て後の[[プロイセン王国]]の王家の祖となる一方、次男の[[フリードリヒ2世 (ニュルンベルク城伯)|フリードリヒ2世]]はシュヴァーベンの領地とツォレルン伯爵の地位を得た。この血統は後にホーエンツォレルン=ヘヒンゲン家と呼ばれる。ツォレルシュヴァーベ=ヘヒンゲン家の領地の空中楼閣Castro Zolreについて[[1267年]]に言及されていることから、この頃にはツォレルン城はできていてツォレルン=ヘヒンゲン家の城であった。[[14世紀]]にツォレルン家をホーエンツォレルン家と改め、城名もツォレルン城からホーエンツォレルン城となる。この城は[[1423年]]には完全に破壊されている。その後再建され、[[三十年戦争]]では要塞として使用された。その後は所有する城主が何度も代わっている。ホーエンツォレルン=ヘヒンゲン家は[[プロテスタント]]に改宗せず[[カトリック]]のままで通していたが、ドイツ帝国成立直前の[[1869年]]に断絶した。
 
== 参考文献 ==