「片岡仁左衛門 (11代目)」の版間の差分

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==芸風==
当り役は、丸本時代物では、『[[仮名手本忠臣蔵]]』九段目の本蔵、『[[菅原伝授手習鑑]]』「道明寺」の菅丞相と「寺子屋」の松王丸、『[[妹背山女庭訓]]』の大判事、『[[一谷嫩軍記]]』「熊谷陣屋」の弥陀六、『[[伊賀越道中双六]]』「沼津」の平作。和事、辛抱立役では『吉田屋』の伊左衛門、『近頃河原の達引』「堀川」の与次郎、「鰻谷」の八郎兵衛、「帯屋」の長右衛門、「吃又」の又平。新作では『[[桐一葉]]』の[[片桐且元]]、『桜時雨』の紹由、『名工柿右衛門』の柿右衛門。『[[伽羅先代萩]]』の政岡も当たり役だった。
 
どの役も至芸と呼ばれるもので、文字通り一代の名優だった。[[三宅周太郎]]の『片岡仁左衛門』の中に、[[尾上菊五郎 (6代目)|六代目尾上菊五郎]]のことばとして、「團菊没後の本当の名人は十一代目仁左衛門だよ」と記されている。[[岡本綺堂]]は『妹背山』の大判事を評して「いざ段切れのノリになって『倅清舟承れ』以下となると、そのめりはりのうまいいいノドは歌舞伎座の隅々迄鳴り響いた」(大正6年3月)と絶賛している。
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