「エル・テムル」の版間の差分

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[[1329年]]4月、エル・テムルは自ら高原に赴いてコシラに謁し、[[玉璽]]を奉じてハーンに推戴した。コシラは政権奪取の功を賞してエル・テムルに軍権の最高官である太師の称号を贈り、トク・テムルを[[皇太子]]としたが、8月に上都の郊外で兄弟会見した直後に急死した。コシラの側近たちに政権を奪われることを恐れたエル・テムルが毒殺したと言われる。皇太子トク・テムルはすぐさまハーンに復位し、コシラの側近たちはエル・テムルによって追放、処分された。
 
トク・テムルの朝廷のもと、エル・テムルはさまざまな特権を与えられ、ハーンをまったくの[[傀儡]]とする権力者として君臨した。エル・テムルはイェスン・テムルの未亡人を自ら娶り、トク・テムル・ハーンの長男エル・テグスを自邸で養育し、かわりにエル・テムルの子がハーンの養子として宮廷で育てられた。また、コシラの長男[[トゴン・テムル]]を実はコシラの子ではないと称し、[[高麗]]に追放した。
 
[[1332年]]、トク・テムルは29歳の若さで死亡するにあたり、兄コシラの子を即位させるように遺言した。しかしそれにもかかわらず、エル・テムルは自身の養い子であるエル・テグスを即位させようと試み、トク・テムルの未亡人でエル・テグスの母である[[ブダシリ]]にエル・テグス擁立を提議した。しかし、ブダシリは亡夫の遺志を尊重してコシラの子を立てることを要求したので、エル・テムルはコシラの次男でわずか7歳の[[イリンジバル]]を即位させ、自らはその[[摂政]]となったが、幼帝イリンジバルは即位からわずか43日後に亡くなった。